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株式会社TSI

ナノ・ユニバース(TSI)が推進するOMOによる“個”客体験づくり

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アパレル業界において特にOMO(オンラインとオフラインの融合)を推進しているTSI。なかでもユニークな施策の多いブランド、ナノ・ユニバースの“個”客を重視したEC戦略についてインタビュー取材しました。

ナノ・ユニバースとTSI

ナノ・ユニバース
(ナノ・ユニバース店舗/株式会社TSI提供)

NANO universe(ナノ・ユニバース)は株式会社TSIが運営する日本のファッションブランド。1999年に渋谷に1号店を構えたのがはじまりで、現在は全国に約40店舗ほど拡大しています。また、オンラインショップを立ち上げ後はEC化率も高く、OMO(※)戦略に力を入れているというのもEC業界ではよく知られているところです。

※ OMO:「Online Merges with Offline」の略で、日本語では「オンラインとオフラインの融合」と訳されることが多い。具体的には、ECサイトで注文した商品を実店舗で受け取るといったような、オンラインとオフラインの垣根を取っ払った運用方法などを指す。

OMOのくわしい概要とO2Oやオムニチャネルとの違いについては、別記事をご確認ください。

もともとはメンズアイテムを中心に展開していましたが、ウィメンズにも拡大し、さらに2022年3月には6つのブランドレーベルとゴルフレーベルによる「マルチレーベルストア」としてリブランディング。

ブランドの礎となるハイクオリティドレスレーベル「LB.01 ステイトメント」、ヴィンテージ感のある「LB.02 ビブリオグラフィー」、リーズナブルなセカンドブランド「LB.03 セクション」、初心者から上級者まで使えるゴルフアイテムレーベル「ビーツ・パー・ミニット」など。

また、運営する株式会社TSIは日本を代表するアパレル企業のひとつで、ナノ・ユニバースのほかにもJILLSTUART(ジル スチュアート)やNATURAL BEAUTY BASIC(ナチュラルビューティーベーシック)、HUF(ハフ)、ゴルフウェアのPEARLY GATES(パーリーゲイツ)など人気ブランドを多数展開しており、年齢や性別、シチュエーションを狭めず幅広いポートフォリオを築いています。

もとは1949年設立の株式会社東京スタイルと株式会社サンエー・インターナショナルの共同株式移転の方法による共同持株会社として、2011年に新設された株式会社TSIホールディングスが母体で、2022年2月期の売り上げは1,403億円、そのうち国内EC売り上げは392億円(EC化率34.5%)に上る企業です。

OMOを推進する背景に「“個”客理解」

株式会社TSI デジタルビジネスDiv. ユニファイドプラットフォーム部長 兼 デジタルマーケティング部長 岸 武洋さん
(株式会社TSI デジタルビジネスDiv. ユニファイドプラットフォーム部長 兼 デジタルマーケティング部長 岸 武洋さん)

―御社は業界内でもOMOサービスを牽引している印象がありますが、そもそも推進するようになった背景はなんでしょうか?

株式会社TSI デジタルビジネスDiv. ユニファイドプラットフォーム部長 兼 デジタルマーケティング部長 岸 武洋さん(以下、岸さん):そうですね、よくお話ししている、OMOというもののベースになる考え方があるので、そこからお伝えしますね。

まず昔は情報もモノも不足していたので、人々は物資的充足を求めて買い物をしていたんですけど、それらが満たされてきて、今度は利便性への欲求にシフトしてきました。
EC化が促進されて、機能的充足が見られるようになった現代です。

ただ、機能的充足を追求すれば追求するほど、購買体験が均一化されてきて、どのサイトを見ても同じ体験しかできないと思われてしまうような状況になってきてしまいました。

特にアパレル業界は扱う商品の特性上、ECサイトそれぞれが同質化していってしまえば、お客さまにとっては会社やブランドごとの違いもわかりにくくなるし、おもしろみがないものになってしまうんですよね。

それでこの先、顧客選択の時代が訪れるようになると思っているんですけど、個人的価値への欲求、すなわち感動や気持ちの豊かさといった情緒的充足が求められるようになるんじゃないかと推測しています。

「個人的価値」って人それぞれ千差万別なので、当然ながら価値観が一律ではないんですよね。
個人個人のコンテクストにいかに響かせるか、ということが大事になってくるんです。

つまり、顧客のことを理解すること……「顧客」というよりも「個客」ですね、一人ひとりと向き合って、求めていることを知ること、それがOMOが必須とされるようになった入口だと思って進めています。

ナノ・ユニバースがECを強化しはじめたのはコロナ前

―では、ナノ・ユニバースがEC化を強化しはじめた背景はなんでしょうか?

岸さん:EC化を強化してきた企業って、もしかしたらコロナ対策がきっかけとなったケースも多く見られるんじゃないかと思うんですけど、実はTSIの場合は、それより前に店舗の売り上げが減少しはじめたことで、ECを強化せざるをえなかったという経緯があるんですよね。

それで注力するようになり、コロナウィルスが流行る前の2018年の2月には既に百貨店の売り上げとEC売り上げが逆転しています。

売り上げグラフ
(株式会社TSI提供)

今やECが成功すると事業が成功するといわれている節があると思うんですけど、TSIも例に漏れずそのとおりで、DXが会社の戦略の軸になっているという感じですね。

ユーザーニーズに応えるための結論がOMO推進

―なるほど。
では、ナノ・ユニバースがどうやってOMOを推進してきたのかをお聞きしてもいいですか?

岸さん:ナノ・ユニバースって「ユーザーのニーズにひたすら対応する、以上!」というシンプルな目的で動いているんですよね。

具体的にいうと、店舗への来店数減少の対策として、来店することでポイントが貯まるという、ユーザーにとって得になるサービスを実施するなど。

あと、店舗スタッフの声を聞いてみたら、ECサイトのスクリーンショットを見せて「この商品ありますか?」と質問されるお客さまが多いらしく、その品番を調べて、店舗に在庫があるかどうかを確認するには、どうしてもお客さまを待たせてしまうことになるというのが悩みだという意見が出てきたので、アプリ内で商品のスクリーンショットをとるだけで品番を自動的に表示させるようにしたり……。

岸さん:そういう課題解決のアクションを素早く取ることで、お店の回転数を上げるということに成功しています。

―私も「いいな」と思った商品は、スクリーンショットで残しておくことが多いですが、あとから実際にその商品を探すとなると結構大変なんですよね。
自動で品番や商品名が表示されたら、店員さんにも声をかけやすいですね。

岸さん:そうですね、お客さまにとってもスタッフにとっても便利になったと思います。

あとコロナ禍で不特定多数の方と接触することを不安視するお客さまのために、店内カメラを使ってリアルタイムに混雑状況をアプリ上でおしらせするといった施策も行いました。

能動的な買い物体験

岸さん:先ほど挙げた「来店ポイント」についてなんですけど、もともとはお店の近くを通るときにアプリを立ち上げると自動でチェックインされるという仕組みだったんですね。

今でもそれを継続している店舗もあるんですけど、店舗に筐体を置いて、それにスマホをかざすことでチェックインされるという新たな施策を始めています。

これによって、ユーザーによる能動的な体験の創出が期待できるんじゃないかと……。

というのも、もともと洋服屋ってお客さまからすると、どうしてもアウェイ感があると思うんです。
入りづらかったり、入ったら入ったでスタッフにロックオンされて、商品に触れたとたんに声をかけられて……みたいな(笑)。

あの体験って、お客さまにとってもスタッフにとっても不幸だと思うんですよね。
店員に話しかけられるのが嫌だというお客さまって結構多いし、スタッフもそのお客さまが求めていることがよくわからないまま売りにいかなきゃいけないし……。

それで、筐体にお客さま自らスマホをかざしてもらうことで、アプリ上のポップアップを増やすということにトライしはじめました。

たとえば、そのお店で一番売れている商品って意外とわからないことも多いと思うんですけど、そういうベストセラー商品を表示させたり、店舗スタッフのおすすめコーディネートを紹介したり……。

チェックイン
(チェックインした際の流れ/株式会社TSI提供)

―チェックインがトリガーになるということは、お客さまのデータに紐づいた、パーソナライズされたおすすめ商品が表示できるということですか?

岸さん:そうです、そうです。
それで、その情報をフックに、お客さまはスタッフに話しかけやすくなるし、スタッフもその様子を見ながら適したタイミングで声がけできるようになるし……。

今までみたいに「ひたすら売りに行く」という姿勢から「お客さまをサポートする」という、ニーズに沿った接客に変えていきませんか?という提案を実際に始めているという感じですね。

―おもしろいですね!
ショップに来ているということは、待ち合わせ時間までの時間つぶしだとしても、少なからず商品やブランドに興味があると思うので、店員さんの声をかけるタイミングや内容次第で、今まで以上に購買意欲が高まりそうです。

岸さん:そうですね、まだ課題もあるんですけど、ユニークな施策なんじゃないかと思っています。

―課題ですか。

岸さん:はい。やっぱりお客さま主体でチェックインしてもらうので、自動で行うよりもチェックイン数が減るんですよね。

こういうサービスをやっています、というのをきちんと認知してもらえるように周知していかないと、なかなか効果を得るのは難しいですね。
まぁそのあたりもふくめて、今まさにチャレンジしていっています。

ユーザーもスタッフも“不幸”にしない「来店予約」

―ナノ・ユニバースさんといえば、来店予約サービス(※2)もユニークですよね。

来店予約
(来店予約サービスの仕組み/株式会社TSI提供)
※2 ナノ・ユニバースでは、ECサイト上で気になるアイテムがあれば、店舗と日時、販売員を指定して来店予約をすることが可能。試着をしたり、お客さまに合わせて販売員がコーディネートを組んでくれたり、ユーザーを主体としたOne to Oneサービスが体験できる。

岸さん:そうですね、お客さまの目的が明確で、接客の質も上がるので、CVRが非常に高いサービスですね。

現状、予約して実際にお客さまが来てくれる確率は60%くらいなのでまだ改善余地はあるんですけど、というのも今のところ、予約日前に1回メールをお送りするくらいで、特に「絶対来てね!」というような、強くリテンションをかけるようなことはしていないんです。

なので、どうコミュニケーションをとっていくかについては追求する必要があるんですけど、来てくださったお客さまのCVRは60%以上なんですよね。

それまでお店のCVRって10%くらいだったので、方向性としては間違っていないと確信しています。
なので強化していきたいし、他ブランドにも展開していきたいですね。

―来店予約された場合、ショップスタッフへのインセンティブなどはあるのでしょうか?

岸さん:インセンティブは試行錯誤しているところなんですよね。
ただ今は、コロナで営業できなかったときもあったことから、スタッフ自身が「お客さまと直接やりとりしたい」という強い思いを持って動いてくれています。

なのでインセンティブについては、今はSTAFF START(スタッフスタート※3)のほうを優先していますね。

※3 STAFF START(スタッフスタート):店舗スタッフが自社ECサイトやSNS上でオンライン接客できる「スタッフテックサービス」。コーディネートや動画といったコンテンツを通じて集客から接客までを可能にするため、個人の売り上げや貢献度を可視化することができる。

岸さん:インセンティブを用意すると、投稿数が増えて、投稿数が増えるとPV数が上がったり経由売り上げも上がったりするんですけど、実は現状では、それよりもサイトのトラフィックの影響のほうが大きくて、投稿数が増えてもサイトの調子が良くないときは全体の売り上げはそれほど伸びないというのが課題なんですよね。

リフトアップ(※4)からインセンティブの原資をまかなえなくなると、事業として成り立たないので……。

※4 リフトアップ:接客をした顧客のCVから、接客をしなかった顧客のCVを引いた「接客効果」。

―2年前から導入されたということなので、これからに期待というところでしょうか?

岸さん:そうですね、現状は接客ツールになっているというのが理由だと思います。
もっと集客ツールとしても運用できるようになれば、より効果が発揮できると思うんですよね。

そのためには、スタッフスタートはインスタに連携させているので、そちらのフォロワーを増やして、サイトに来てもらうというのがひとつの道筋として考えられるんですけど、インスタって「この時間だけを使って運営する」というものではないじゃないですか。

ずっとコーデ写真を上げ続けるだけでは、その人となりが見えてこないし、ごはんを食べに行ったときの写真など、日常に食いこんだ発信が求められてくると思うんですよね。

そうなると当然ながら、スタッフに対して会社側もインセンティブといった形で感謝や労いを伝える必要があると思うので、今ちょうどいろいろ試行錯誤をしているところなんです(笑)。

販売員を美容師のように

岸武洋さん

―E2C(※5)に力を入れて、スタッフとユーザーどちらにも合った方法で接客をしていくという感じですね。

※5 E2C:Employee to Consumerの略で、店舗スタッフから顧客へ直接接客・販売される手法のこと。

岸さん:ナノ・ユニバースでは「販売員を美容師のように」というコンセプトを掲げているんですよね。

美容師さんって、お客さま一人ひとりに寄り添って施術をしているので、お客さまのほうも「おまかせで」と頼めるほどの信頼関係があるじゃないですか。

当日急に行くパターンもあると思いますが、基本的には予約して、会いに行って、髪を切ってもらって、CVR100%ですよね。
しかも、そのあと次の予約をして帰ることも多い、という点で、非常に「個客」のライフスタイルに寄り添ったビジネスモデルだと思うんです。

「アパレルショップもそれを目指していこう!」というのが、コンセプトの意図ですね。
それによって、1回1回の体験を、より心に残るものにしていけたら、お客さまの「個」に寄り添うOMOっていうのができていくんじゃないかと……。

それで、美容師さんがなぜそこまで信頼されるようになるかって考えると、技術力だけではなく、人柄や話し方、パーソナルな部分に惹かれることが多いと思うんです。

じゃあアパレル界でそれを目指すなら、販売員も一人ひとりがどういう人物なのか、お客さまに知ってもらう必要があるなぁと……。

コーディネート起点で販売員を知ってもらう

岸さん:……という流れを汲んで、スタッフスタートを始めたわけです。

コーディネート起点で、スタッフの名前と得意なテイストと、個の特性をなんとなく把握してもらって、気に入って来店予約をしてくれたら、販売員はそこでコーディネート提案などしっかり接客するので、エンゲージメントに結びつくかもしれないし、あるいは次回の予約までしていただけるかもしれないし、そうなれば最高ですよね。

―販売員さんはどのようにお客さま一人ひとりに合わせたコーディネートを組んだり、接客を行ったりしているのでしょうか?

岸さん:今は予約するときに簡単なアンケートに答えていただいているので、その情報をもとに行っていますね。
今後は来店前行動をデータ化して、顧客カルテみたいなものを作っていきたいと考えています。

―なるほど。お客さまも先にコーディネート投稿を見て、好みのテイストを表現されている販売員さんを指名できるので、来店予約した方のCVRの高さはうなずけます。

岸さん:そうですね。
あとスタッフスタートは広告にも活用しているんですよ(STAFF START AD)。

スタッフスタート(株式会社バニッシュ・スタンダード)とリンクシェア・ジャパンさんによる取り組みなんですけど、TSIは去年2021年から先駆けて利用させてもらっています。

販売員によるコーディネート投稿をインスタやFacebookに広告として出向できるものなんですが、ほかの広告と比べてROAS(※6)500%、客単価120%増と高くて、配信するユーザーのセグメントもできるので、来店が多いお客さまに表示させるなど、いろいろ試しながら集客効果を高めていますね。

※6 ROAS:Return On Advertising Spendの略で、広告の費用対効果のこと。「売上÷広告費×100(%)」で算出する。

―たしかにモデル着用の写真はブランディングイメージを伝えてくれますが、実際にスタッフの方が着られた写真のほうが、リアルな着用感を参考にできるから購買意欲が沸くということは結構ありますよね。

岸さん:そうですね。
広告以外にも商品画像とスタッフコーディネート画像をサイト上に同時に掲載することも行っているんですけど、実際コーデ経由のほうがセット購入率110%、CVR163%とアップしているんですよね。

あと今年の春から、LINE STAFF STARTも導入し、公式LINE上で販売員とお客さまがやりとりできるようになりました。

これによって、より一人ひとりにダイレクトに商品やコーディネートを紹介したり、あるいはお客さまの質問に答えるといったこともできるようになりましたね。

―スタッフ一人ひとりの個性が前面に出て、一人ひとりとの結びつきが色濃くなっていくことで「服を買いに行く」以外に、推し活のような感覚で「好きな販売員に会いに行く」という体験も増えていきそうですね。

岸さん:そうですね。
スタッフスタートが入口となって、来店予約やLINE STAFF STARTによってしっかり関係性を強固にしていく、と仕組みが整ってきてはいますね。

現場のスタッフのほうがトレンドを把握していると思うので、ツールの運用方法については任せていて、スタッフ発信で生まれる新しいアイデアなど、期待しています。

ただ、ファンビジネスの延長には、そうやってより強いファンになってくれるという方もいる一方で、スタッフが辞めて独立してしまうということも業界内では「あるある」なんですよね。

でもそれも、仕組みさえきちんと作れれば、対策できることかなと思っています。

もともと独立したかった人は別として、辞めてしまうというのはつまり、自分のがんばりに見合ったものが得られていないから別の環境を探すということだと思うので、スタッフに対してきちんと評価につながる仕組みが用意できれば、モチベーションもずっと高いまま働いてくれるんじゃないかと思うんですよね。

今は本当に、あらゆる面で仕組みづくりに注視していて、ここがうまくできないと、2,3年後に立ち遅れちゃうなぁという危機感を持って動いています。

店頭での離脱を防ぐリテンションマーケティング

―ナノ・ユニバースさんといえば、ハンガーにセンシングデバイスをつけた取り組みも有名ですよね。

岸さん:ラゾーナ川崎プラザ店で行っている施策ですね。
ハンガーを持ったときの記録が残るので、お客さまが手に取ったり、鏡の前で合わせたり、試着室に持っていったりした際にデータとして可視化できるようになっています。

その後、購入されたお客さまにはフォローメールを、購入されなかったお客さまには、ECサイトでいう「閲覧履歴」的な見せ方でリテンションメールを飛ばしています。
「お店で手に取っていただいた商品はこちらです」みたいな感じです。

―ショップ内での行動によってデジタルのアクションが生じるというのはまさしくOMOですね。

岸さん:そうですね、こういったことをなぜやっているのかというと、「体験の連続性」を重視しているからなんです。

利用者目線で考えると、ECサイトを見てカートに入れたけど、結局そのときは買わずに、翌日お店に来店することってあるじゃないですか。
でも企業目線だと、一見「離脱」しているように見えるんですよね。
いわゆる「カゴ落ち」というやつです。

実はエンゲージメントがつながっていて、購入前にもっと深くその商品を知りたくなってECサイト上での購入を「一旦」やめただけかもしれない。
そうだとしたら「離脱」と見なしてしまった場合、確実にお客さまの行動を捉え間違えていることになるんですよね。

逆に、お店でいろいろ見てなにも買わずに出たけど、本当はすごく悩んでいて、家に帰ってからECサイトでもう1回見てみる、というケースも考えられますけど、この場合も退店=離脱ではないわけです。

やっぱりここはしっかりデータを取らないとだめですね。
行動の背景をしっかり読みとって、お客さまの解像度を上げるということにトライしています。

とはいえ今は、本当はお店で商品を手に取って「これはないな」と思って戻したお客さまにも、あとからリテンションメールが送られてしまうので、ここは課題ですね。

でも実際、メールを開封した方のCVRは70%くらいで、めちゃくちゃ高いです。

―ということは、やっぱり迷われてやめたという方が多いんですかね。

岸さん:そういう方のことはしっかりフォローできているといえますね。
まぁでも興味がなかったら開封もしないと思うので、引き続き改善策を考えていきたいと思います。

強みは「スタッフ」と「店舗」そして「幅広いブランド展開」

岸武洋さん

―スタッフ力というのはかなり御社にとってケイパビリティですね。

岸さん:そうですね、コロナ禍ということもあって、業界的にもスタッフの活躍が促進されている背景がありますが、実際TSIにとって、スタッフとお店はかなり強みですね。

やっぱり70年以上の歴史ある会社が2つ統合した企業なので、スタッフの販売力とブランドのアセット力というのはかなり大きいんですよね。

ストリートテイストもあって、セレクトショップもあって、スポーツブランドもあって……とポートフォリオの幅が広くて、それゆえに今までブランドごとにサイト戦略、CRM戦略をしてきたという経緯もあります。

そうすると、どうしても運用体制面で非効率を生むこともあるんですけど、その分、ブランドとお客さまのつながりが強くなるんです。
他社さんと比べてもブランドのファンがかなり多いと思うので、やっぱりそれは今後も強みになるなぁと感じています。

―ブランドだけでなくスタッフさん個々のファンも増えていきそうな施策にも取り組まれているので、今後その推し力はさらに強まりそうですね。

岸さん:そうですね、先ほどの話にあったようにスタッフコーディネートを入口に、スタッフとお客さまの個と個の結びつきは今後さらに強化していくつもりです。

でも僕たちが行っているのはアパレルビジネスであって、新規のお客さまは何者かわからないスタッフのコーディネートを見ても、それがどんなブランドかわからないと思うので、きちんとブランドイメージ訴求も行う必要があり、その両軸の共存が一番のテーマであり、課題かなぁと感じていますね。

今はお客さまとの接点って、モノを販売するということでしか持てていないんですけど、やっぱり今後、商品購入以外の体験を作っていきたいと思っています。

―個々のブランド力が強いので、社内でコラボをしたら、また幅広い層にリーチできそうですね。

岸さん:はい、ブランドを跨いだデータの活用はもちろん考えています。
やっぱりお客さまと僕たちのつながりって、1ブランドの1アイテムを購入するときのたった1回の接点でしかなくて、それってお客さまからしたら、長い人生を生きていくうえでのほんのわずかな点でしかないんですよね。

その人たちには当然ながらそれぞれ日常があって、たとえばゴルフ好きな人がパーリーゲイツの服を買ってくれたとして、でも仕事のときや友だちと会うときにはたぶんそれを着ていかないわけで……、ということはTSIのほかのブランドとの接点が作れれば、もっと体験の幅を広げることもできるかもしれない。

CRMデータを活用したうえでしっかりLTV(※7)ドリブンな運用をしていくというのが、DXを推進していくうえで目指している部分ですね。

※7 LTV:Life Time Valueの略で、そのまま「ライフタイムバリュー」といわれることもある。顧客生涯価値のこと。ひとりのユーザーが特定のブランド、企業の商品やサービスを購入、契約しはじめてから継続して生涯どのくらい利益をもたらすか算出したものを指す。

顧客と信頼関係を築き、ユーザーをリピーターに、リピーターをファンにするために、顧客と企業の相互利益を向上させるCRM(Customer Relationship Management/顧客関係管理)と親和性が高く、併せて戦略を練られることが多い。

集めたユーザーデータは顧客体験に還元していく

岸武洋さん

―CRMデータを統合していくとお聞きしたんですけど、御社の場合は個々のブランド力が強く、それぞれにファンがいらっしゃるので、データを一元化することで、お客さまのライフスタイルに沿っていろんなところでタッチポイントを作れるようになるというのがまた強みになりますね。

岸さん:おっしゃるとおりで、ただ、体験をお客さまに返していくには、オフライン、オンライン、さらにはブランド別に持っていたデータをひとつにつないでアプローチしていく必要があって、それがお客さまにとってメリットになるというのをどれだけアピールできるのかが課題です。

TSIの場合、ブランド名は知っていても企業名は知らないという人が多いと思うんですよね。
なので、ここがクリアになれば、各ブランドとお客さまのつながりというのがTSIとお客さまのつながりになって、より強固なものになっていくと思います。

―ということは今後は企業名をどんどん露出していくんでしょうか?

岸さん:いずれにせよ今後ユーザー層にZ世代などが増えていく過程で、企業のサスティナビリティや存在価値ってすごく重要になってくると思うんです。

どんな会社が運営しているかわからないブランドって、なかなか先々運営していくうえで受け入れられにくいと思うので、なにかしらベースを築いていく必要があるかな、と思っています。

Z世代向けブランドも展開予定

―ちょうどZ世代のようなデジタルネイティブ世代に向けた戦略についても伺いたいと思っていたんですが、社会貢献意識が高いという傾向にフィーチャーして、サスティナビリティやポジティブなパーパスを発信していくアプローチ方法が主軸になるのでしょうか?

岸さん:そういったことも行っていきます。
あとZ世代向けのブランド群を展開していくと思いますが、デジタルの仕掛けを掛け合わせることで、新たな体験を提案していくことも必要です。

今年の4月に発表した、2025年までの中期経営計画のなかで方針として提示しているので、スピード感を出して今まさに準備中です。

―御社では今までミレニアル世代がメインターゲットになっていたかなと思うので、新しいブランド展開は楽しみですね。

岸さん:そうですね、さらなる広がりを目指していきます。
最初にお話しした「情緒的充足」の流れを汲んでいるんですけど、モノが実現できるコトの豊かさ、満足度、共感といったものを理由に商品やサービスが選ばれる時代だと思うので、そういった楽しさを創出する「ファッションエンターテインメント創造企業」であろうと動いているんですよ。

服を買った先の体験を作る権利がある

―アパレル業界全体として、しばらくECを強化してきたという流れがあると思うんですが、特にコロナ禍で実店舗は営業できない期間があったという経緯をふまえ、最近になって揺り戻しのような形で、実店舗だからこそできる体験というものが再注目されているように感じます。

御社はアパレル企業にして「脱アパレルonly企業」を掲げていますが、時代の変化として、やはりお客さまが「服」というプロダクトを買うだけでは終わらない体験を求めているという体感があったのでしょうか?

岸さん:おっしゃるとおり、コロナウィルスの影響でデジタル化は躍進したんですけど、ここ半年くらいですかね、予想以上にお客さまが実店舗に戻ってきてくれています。

やっぱりいくらECサイト上で店頭に近しい購入体験をしていただけるように対策をしても、結局お客さまがエンゲージメントするのってスタッフやスタッフが作りだすお店の雰囲気に対してで、つまり人起因なんですよね。

ということは、EC化率も高めていく必要はあるんですけど、同時に店舗の需要も大きいわけで、ショップをひとつのメディアとして、楽しい体験をしていただけるような場にしていくという方法を考えていかないといけないと感じています。

そういった点から、店舗での行動データを集めたうえでリテンションメールを送るというようなアクションを行っているんですけど、お客さまからすると、メールはあとから来るものなので、その場での体験にはつながっていないんですよね。

もちろんそこでなにか行動を強いるのはおかしいし、でも予期せぬいいことがあってもいいんじゃないかと思うので、お店でのリアルタイムなアクションを今後増やしていきたいと思っています。

―リアルタイムなアクションといいますと?

岸さん:たとえば来店前行動のデータと店頭でのアクションを紐づけて、店頭にあるサイネージにリアルタイムでサジェストやそのストーリーが表示されるような、そういった体験はトゥーマッチにならない程度に考えていきたいですね。

―いいですね、自身の実際の行動にデジタルが反応するのって楽しい体験ですよね。

岸さん:そうですね。
ゴルフやスケートボードといったスポーツウェアブランドを例に挙げると、服を買うのってその先にある、仲間と楽しむという体験のための行動だと思うので、お店側もそういったコミュニティを作れる権利を持っていると思うんです。

今「モノを買う」以外のお店に来る動機づけを、どのくらいできるんだろうなっていうのは、この先のテーマだと考えています。

1,500万人のプラットフォーム化を目指す

岸武洋さん

岸さん:2025年2月期の目標値として、EC売上高760億円、EC化率40%、会員数1,500万人と掲げていて、これは今までと同じ戦略では実現できない数字なので、今どれだけ新しい取り組みが積み上げられるかというのが大事なところなんですよね。

―会員数についてなんですが、中期経営計画のなかで「1,500万人の会員のプラットフォームを目指す」と拝見しました。
モール化するということでしょうか?

岸さん:デジタルマーケティング的にいうと、当然ながら760億円を確保するだけのトラフィックが必要になってくるんですけど、そのためにはテレビなどのマスメディアを利用するといったプロモーション方法を考えていかなきゃいけなくて、いずれにしても着地場づくりは必要だと考えています。

ですが、モール一本化しか選択肢がないというわけではなく、ユーザーにとってどういった形が適切なのか、今まさに議論を進めているところです。

今の会員データはブランドごとにバラバラになっていることで、その分母を活かしたアクションが取れていないんですね。
なので、どういった形であれ、CRMを統合したいとは思っています。

裏側でひとつにするのか、サービスとしてひとつにするのか、それはこの先の議論次第ですね。

でもTSIはやっぱり、今までブランドごとにお店、EC、アプリでそれぞれエンゲージメントを築いてきたという実績があって、それは武器になると思うので、全体をつなげたサイトとブランドサイトの両軸があるようなサービスを構築するようなことが必要なんじゃないかと思いますね。

自社サイトで中途半端な形のものは作りたくないので、会社全体で目指していく事業戦略に沿った構築の仕方をするっていうのが大切です。

直近のEC売り上げ減少の課題と改善策

―直近のEC売り上げが前期よりも若干不振だった(国内EC売上高前期比92.2%)と思うのですが、原因についてお聞きしてもいいですか?

岸さん:まず理由のひとつに、コロナ禍のロックダウンによって海外生産分の遅延が響いてしまったという点があります。
前期からプロパーを強化するために過度な発注はしていなくて、さらにお客さまが店舗に戻っていったということもあって、ECサイトに潤沢な在庫を確保できなかったんです。

あとはナノ・ユニバースでは今年の3月に大規模なリブランディングを行いましたが、納品遅延も重なり、なかなかうまく周知できなかったんですよね。

今後お客さまをナーチャリングする施策にも取り組んでいきます。
当然第2四半期から、このリブランディングの完成に向けて継続的に注視しているので、これから回復していくと思います。

LTVドリブンなブランド運営をするための組織づくり

―最後に、今後DXをさらに推進していくうえで目標にされていること、展望として見据えていることをお伺いしたいです。

岸さん:DXって言葉が指す範囲が広いので難しいんですけど、僕たちの強みを活かすための仕組みをしっかり作るためにも、データ基盤をしっかり構築して、LTVドリブンに動いていくというところですかね。

ビジネスなので当然の部分ではあるんですけど、今は結構、現場は目先の売り上げを作ることに注視している部分が大きいので、もっと長い目でお客さまに寄り添っていけるようなブランド運営をしていくというのが目指す形です。

先ほどの繰り返しになっちゃうんですけど、やっぱりデータを集めるということは、ユーザー体験に返していく必要があると思うので、あまり運用のための収集に閉じずに、しっかりアクションにつなげるためのデータを集めていきたいと思っています。

DXはツールなどの道具を取り入れて完結というわけではなく、それに合わせた設計も必要ですし、ブランドという垣根を越えて会社という組織全体で、お客さまの営みを作っていくというのが目標ですね。

セレンディピティへの飢餓感に共感する時代

株式会社TSIインタビュー特集

ここ2,3年ほどの間に、人々はさまざまなものを失い、奪われ、あるいは制限されることになりましたが、新たに得るものもあり、生活様式そのものが変化しました。

語弊のないように表現したいのですが、それが一部の人間だけでなく、同じ時代を生きるすべての人間にとって共通の体験だったことはせめてもの幸いだったのではないかと思うことがあります。

外出が減り、接触が減り、出かけた先でなにかを発見したり、だれかと話して気づきを得たりすることが圧倒的に減少したこと、それが全員に平等に訪れたことで、ニーズやウォンツが同じ方向に向かって高まっていくような感覚があるのです。

セレンディピティとは予期せぬ偶然の産物を指しますが、制限下において私たちはそれを以前よりも得られにくい環境になったと思います。滅多に来ない遠方に訪れたところ、学生時代の後輩と出くわしたり、乗りこんだ電車が勤続40年の車掌の最後の運転で、感動的なアナウンスが流れたり、迷子のねこを保護したら、実は友人がずっと探していた飼い猫だったり、そもそも偶然を生む前提の環境を作れないのです。

コロナウィルスはある意味、人々に結束力をもたらしたといえるかもしれません。偶発的に生じて、心が震えるほどの感動はもたらさなくとも、なんとなくその日少しだけ晴れやかな気分になるようなセレンディピティへの飢餓感は、多くの人が共感できるのではないでしょうか。

モノ消費からコト消費へシフトしはじめたのはコロナウィルス感染が拡大するよりも前のことですが、利便性というものに慣れてしまった私たちは今、情緒的充足を求めています。

なにか新しい体験がしたい、だれかとそれを共有したい、買い物によってそういった思いに応えてくれる場が存在したら、それはもはや「消費」行動ではなく、新しいものを「生産」する行動といえるかもしれません。

ナノ・ユニバースが取り組んでいるのは、既存の実店舗とECサイトを融合させるためというよりも、ユーザーの生活にちょっとした楽しさを増やすためのOMO施策。

それぞれの領域を区切らずにフラットに可能性を広げることで、より多様的でプレイフルな体験が生み出されそうです。

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この記事を書いた人

浦田みなみ
元某ライフスタイルメディア編集長。2011年小説『空のつくりかた』刊行。モットーは「人に甘く、自分にも甘く」。自分を甘やかし続けた結果、コンプレックスだった声を克服し、調子に乗ってPodcastを始めました。BIG LOVE……

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